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2012年1月 7日 (土)

じいちゃんの最期

 じいちゃんの最期の朝、主治医のH先生は、〝微熱だが特に心配する状態ではない〟ことを確認し、帰途に着かれたそうだ。その後、メールでじいちゃんの死を知らされ、「えっ?」と思われたそうだ。
じいちゃんは、おしっこもちゃんと出ていたし、貧血がさらに悪化していたわけでもないので、まさしく寿命を全うした状態だったようだ。
 先生は、「ばあちゃんのほうなら、急変はまだわかるんだけど」と、暗にその状態を悟らされたけいこたんとパパだった。

 あの日、じいちゃんの急変を知らされ、けいこたんが駆けつけた時は、すでに心臓も停止しており、人口呼吸器で脈を少し保っている状態で、〝パパの到着を待つならば、さらに、心臓マッサージをする必要があるが、どうするか〟と選択を迫られた。
やっぱりパパの答えも「もういいよ」だった。
というわけで、けいこたんが最後を看取ることを許された。
枕元の機械の数字の最後のひとつが〝0〟表示になった時でさえも、じいちゃんの口からは「はい」と返事が返ってきそうだった。
 けいこたんとじいちゃんのふたりきりになった時、じいちゃんの耳元でいつも歌っていた賛美歌「輝く日を仰ぐとき~」を賛美した。(しかし、まともなメロディーにはならなかったが)
そして、じいちゃんが神様のもとで、やすらかになったことを感謝した。
でも、じいちゃんの拍手はもうなかった。

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2012年1月 6日 (金)

1月4日

 1月4日 この日は、けいこたんとパパの悲しい一日の始まりだった。
 
 その日まで正月休みのけいこたんは、パパとさっくんを会社に送り出した後、韓国ドラマの「美男子(イケメン)ですね」を流しながら、まったりとパソコンに向かい、フェイスブックの写真をそろそろアップしようかなあと思いたち、デジカメ写真集を見ていた。
 おや、じいちゃんとニッコリ笑った写真だ!
じいちゃんは、穏やかな顔で、けいこたんの横に納まっていた。
 ひょっとすると、何か感じるものがあったのかもしれない。
 
 去年から、じいちゃんは、「腎機能の働きが落ちていて、年内に容態の変化があるかもしれません」と言われては持ち直し、私達を油断させてくれていたのだ。
けいこたんが話しかけると、少しだけではあるが返事を返してくれたりもしたのだった。

 突然、パパからの電話。
「じいさんの呼吸が止まりそうだ。すぐ病院に来てくれと電話があった」とのこと。

 農業一筋で自治会長や農業委員として、地域のためにも働き、また、最後まで、夫婦は近くで過ごした。 
 そして、その最後は、まるで、灯火が消えるかのように、本当に静かだった。

 今でも、じいちゃんの、ちょっとハスキーな「うんうん」という声は、耳元に残っている。
けいこたんが休みの日を選んでくれたじいちゃんに感謝。
パパを大切に育ててくれて感謝。
じいちゃん、本当にありがとう。

 

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